フィリピンワシに救いの手を
貢献度抜群:シンボルマーク
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安藤達己がつづる ブログエッセイ



貢献度抜群:シンボルマーク


ダヴァオ本部のシンボル
 私の通っていた英会話教室に、話したがりやの(勿論英語で、ですよ)柿坪氏が入ってきて、私の御学友?となったのでありました。そのころ(1993年)“タカを救う会インジャパン”はすでにPEF(Philippine Eagle Foundation)に寄付を始めていましたので、ダヴァオから帰って来るとフリートーキングの中で自然環境を守る大切さについて、フィリッピンワシをからめながら喋りまくったのでした。
ハイ クラスの皆様には大変迷惑をかけたろうと反省しておりまーす。週一度の授業が終わると毎回のように次のクラスに通ったのでした。
ハイ すぐ近くに、ゆうところの‘フィリッピンパブ’があったのです。当然のごとくレッスンですから日本語なしで、話は盛り上がります。特にダヴァオから来ている女の子がいたりすれば、又一段と賑やかになりまーす。そんな最中、柿坪氏の芸術家魂に火が付いたのか、フィリッピンワシのメダルを是非作りたい、といい始めたのでした。

タカを救う会シンボル 時を同じくして、私は会員に配る“フィリッピンンワシ”を紹介する小冊子を書いていましたので‘しめたっ’とばかり、‘写真をはじめ、私の知るワシについて全ての資料を提供するから、小冊子の表紙を飾る小さなメダルを15個、頂きたいっ!勿論無料で’(なかなか交渉がうまい!)こうして我々のシンボルマークが出来上がったのです。
その後、この作品に‘オマケ’が付きました。1994年:朝日新聞社後援の“日本メダル彫刻展”で大蔵省造幣局長賞を獲得、私も片田舎の西新井から銀座のなんとか画廊へ出品作品を見に行きました。自分の作品ではありませんが、“タカを救う会インジャパン”に関連しているわけですから、妙に胸がトキめいたのを思い出します。

その後、芸術家!柿坪氏は私と一緒にダヴァオを訪問、本物の、生きたフィリッピンワシを直接観察。創作意欲がまたまた燃え上がり、PEFのシンボルマークを製作したのでした。これがまた、フィリッピン政府のフィリッピンワシを国鳥にするとゆう発表と重なり、これを出品したアメリカ彫刻展で入選と“おめでた”が続くのでした。さらに更に、PEFでは100万円(約50万ペソ)以上の寄付をしてくれた会社、個人にこのメダル(メダルは当会からの寄付ですが)を、表面に名前を刻み込んだうえ、プレゼントすることになり、今日まで、フィリッピン国内の大会社:シェルオイル、オリエンタルランド、マルコポーロホテル等々。個人では:現副大統領 ノリデカストロ、元大統領 コラソンアキノ氏等々。これまで50個近いメダルを寄付し続けているのです。当会にとって特筆しておかなければならないのは、その後、柿坪会員の好意で“タカを救う会”と“PEF”のシンボルマークを縮小、18kのオリジナル・ペンダントにして(12gと10gだったと思いますが)友人に買っていただき、利益は全て基金に組み込まれました。本当に有難うございました。
イーグルセンター内では日本大使館からの寄付で白い二階建ての展示会場が建設されましたが、この入り口のドアーの上にも柿坪氏製作のネームプレートが固定されています。柿坪氏のような、ボランテアー精神に富んだ会員がいる当会は、今後さらに、フィリッピンワシの保護に貢献できるものと信じてやみません。“タカを救う会インジャパン”に理解を示してくださる方がありましたら-------------

展示会場前

展示会場前
イーグルセンター表札
イーグルセンター表札

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